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東京地方裁判所 平成9年(ワ)25399号 判決 1999年10月25日

原告

荒木茂子

被告

大熊利津子

主文

一  被告は、原告に対し、金八八二万〇八三六円及びこれに対する平成八年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、三分の一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成八年二月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自転車が歩道上で歩行者に衝突した事故について、歩行者が、自転車を運転していた者に対し、民法七〇九条に基づき、損害賠償(一部)の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

1  発生日時 平成八年二月二日午後一時二〇分ころ

2  事故現場 東京都杉並区高井戸東二丁目二九番二三号先歩道上(環状八号線の東側に沿う歩道であり、神田川にかかる橋上の部分)

3  事故当事者 歩行していた原告と自転車を運転していた被告

4  事故態様 事故現場を南方向に進行してきた被告運転の自転車(以下「被告自転車」という。)が、歩行していた原告に衝突した。

二  争点

1  過失相殺の有無及び過失割合

2  本件事故と相当因果関係のある治療期間

3  原告の後遺障害の有無及び程度

4  原告の損害額

第三争点に対する判断

一  過失相殺の有無及び過失割合(争点1)

1  事故状況について

(一) 前提となる事実及び証拠(甲二の1・2、八、九、乙二、一三[一部]、証人大熊昌巳[一部]、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

(1) 事故現場は京王井の頭線高井戸駅の南側で、かつ、環状八号線の東側沿いの歩道(以下「本件歩道」という。)上である。事故現場付近には、神田川が東西に流れている。

(2) 原告は、平成八年二月二日午後一時二〇分ころ、友人と待ち合わせをしていた高井戸駅に向かうため、神田川の南沿いの道路を東から西へ歩行した。そして、本件歩道に出て右折し、神田川上の橋となっている部分を高井戸駅に向かって歩き出した。原告は、前方から進行してくる被告自転車に気付いたので、本件歩道の西側寄りを進んだ。

他方、被告は、その日は風が強かったため、伏し目がちで被告自転車を運転していた。そのため、原告の目前で、蛇行気味に西側に寄って行ってしまい、原告に気付いてブレーキをかけたが間に合わず、原告の前方から、原告の右足付近に衝突した。その結果、原告は、そのまま高井戸駅方面に足を向けて、腰から後方に転倒した。

(二) この認定事実に対し、被告は、被告自転車は、神田川の南沿いの道路から出てきた原告と出会頭に衝突したと主張し、証人大熊昌巳は、被告から、被告自転車に乗って本件歩道を南に向かい、神田川上の橋となっている部分を伏し目がちで進行したところ、神田川の南沿いの道路から出てきた原告と出会頭に衝突したと聞いているとして、これに沿う供述をし、大熊昌巳の陳述書(乙一三)の内容も、概ね同趣旨である。

しかし、この供述は伝聞である上、被告からは、出会頭に衝突したと聞いたのみで、具体的な衝突状況までは聞いていない(証人大熊昌巳)。また、大熊昌巳の陳述書(乙一三)には、被告自転車が原告に衝突したと聞いたとする一方で、衝突した確かな感触はないと聞いたとも記載されており、それ自体矛盾する内容を包含するものであるし、その部分においては、大熊証言とも必ずしも一致しない。さらに、伏し目がちで進行していた被告が、原告の様子をどの程度正確に認識していたか定かでない。

したがって、証人大熊昌巳の供述及びその陳述書の各内容は、直ちには採用できない。

2  過失相殺について

1で認定した事実によれば、被告は、歩道を自転車で走行するにあたり、前方を注視して、歩行者の通行を妨げないように走行する注意義務があるのに、これを怠り、伏し目がちで被告自転車を蛇行気味に運転し、原告に衝突させた過失がある。

他方、原告は、前方から走行してくる被告自転車を認識しており、被告が伏し目がちで運転していることを十分認識できた状況にあるのであるから、被告が、直前で蛇行気味に運転したことを考慮しても、被告自転車の動向などの安全確認が十分でなかった過失が若干はあったというべきである(なお、原告は、自転車の通行が禁止されているとは主張していない。)。

本件事故の態様及びこの過失の内容を総合すれば、原告の過失割合は一割とするのが相当である。

二  本件事故と相当因果関係のある治療期間、後遺障害の有無及び程度(争点2、3)

1  原告の治療経過等について

証拠(甲三~七、一四、一五、乙一~四、原告本人[一部]、調査嘱託の各結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告(昭和一九年五月二六日生)は、平成八年二月二日午後一時二〇分ころの本件事故直後、被告に対し、友人と待ち合わせをしていることを伝えて別れた。原告は、足を引きずりながら下高井戸駅まで行き、友人に事情を伝えた後に帰宅した。そして、その日はそのまま湿布をした。

原告は、翌三日、右膝痛及び腰痛を訴え、社会福祉法人康和会久我山病院で診察治療を受けた。そして、後方引き出しテストの結果も併せて、右膝の軽度の不安定性が認められ、同月二〇日には、それまでの診察の結果、腰部打撲、右膝内障との診断を受けた。この時点では、合併症がない限り、約三週間の通院加療を要する見込みであった。

その後、MRI検査の結果では、後十字靱帯の一部断裂と思われる所見があったが、それほど問題はなかった。しかし、原告は、平成八年三月五日の診察では、階段の昇降や立ち上がり動作の際に膝くずれがあり、不安定感が強いと訴えていた。

(二) 原告は、この三月五日から理学療法による治療を開始した。同月一二日からは、後十字靱帯を支持するサポーターを装着し、独歩によるリハビリ治療を開始したが、この治療には不安を感じていた。同年四月二日には、医師から、独歩の練習をどんどん行って筋肉運動をするように指導された。同年四月一六日には、右膝後十字靱帯損傷により継続加療が必要であるとの診断を受け、この時点では、歩行時の膝痛、膝装具をはずした際の不安定感が残存し、まだ、買物もできない状態であった。

(三) ところが、原告は、平成八年四月一六日(ここまでに実日数にして二〇日通院)を最後に、精神的に憂うつな状態になり、久我山病院に通院しなくなった。その後は、痛み止めを飲む程度でリハビリ治療をしていなかった。そのためか、症状は改善されなかったため、同年八月一日から、久我山病院で再びリハビリ治療を開始した。原告は、この時点で、突っ張ったままそっと歩いているとして、歩行の異常を訴えていた。

久我山病院の今給黎直明医師は、原告とその夫に対し、通常、後十字靱帯断裂のみであれば、筋肉運動を行っていくことで日常生活に支障はほとんどなくなることが多いので、リハビリ治療を継続し、薬物治療、管理制御を行っていく予定であること、原告が、昭和六二年から、東京慈恵会医科大学附属病院の神経科に通院していたためか、精神科を含め、同病院への転医を考えた方がよいことを説明した。

(四) その後、原告は、意欲的にリハビリ治療を続け、平成八年八月二九日の時点では長時間の移動はまだ困難ではあったが、同年九月一二日には、以前と比べて歩様が改善されてきた。

その後も、リハビリ治療を頻繁に継続し、平成九年一月ころには、跛行は消失し、歩行の状態はかなり良好となり、自宅内では装具を外しているようになった。そして、先の平成八年八月一日から数え、平成九年三月一四日までに実通院日数にして一一八日の通院治療を続けた。

(五) ところが、原告は、回復の経過に不満を感じ、平成九年五月一五日から、日本赤十字社医療センター(以下「日赤医療センター」という。)に通院するようになった。原告は、その際、歩行の異常のほかに、右下肢(膝から下)の脱力及び知覚障害を訴え(長い坂を下りて行くのが辛いなどの訴えがあった。)、数回通院した後の同年八月二七日から同月三一日まで検査のため入院した。日赤医療センターは、筋電図、誘発脳波、脊髄造影等の検査を受けたが、明らかな神経障害の所見は得られなかった。ヒステリー等についても、有用な所見は得られなかった。なお、後方引き出しテストにおいて、膝の軽度不安定性は認められた。

そして、日赤医療センターの奥津一郎医師は、平成九年一〇月二九日に症状は固定し、右膝後十字靱帯損傷(断裂)により、右下肢脱力及び知覚障害が残存して身体障害者福祉法施行規則上の障害程度等級七級相当に該当する旨の診断をした。ただし、筋力及び関節可動域が改善中であることから、一年後に再認定を要する見込であるとの意見を付した。

なお、原告は、この同年一〇月二九日までに、右の入院のほかに、実日数にして一二日日赤医療センターに通院した。また、途中、同年五月二〇日に、日赤医療センターの医師の指示により、岩井クリニックで検査を受けた。

原告の右下肢の脱力及び知覚障害の状況は、平成一〇年一〇月当時においても、日赤医療センター初診時と変わりがない。なお、自動において関節可動域に制限があるが、他動においては制限はない。

(六) 久我山病院の大野高也医師は、原告の傷病について、次のとおり説明する。

初診時の右膝関節痛、後方引き出しテストによる膝の軽度不安定性の症状、MRI検査による後十字靱帯の一部断裂と思われる軽度の所見から、確定診断は、靱帯の繊維の一部が断裂した右膝後十字靱帯不全断裂である。この傷病により、一般的には、膝関節痛と膝関節の不安定性が生じ、損傷が強いと関節内血腫を伴うことがあるが、原告に関節内血腫は認められない。通常、後十字靱帯完全断裂でも、損傷がそれだけであれば、ほとんどが保存的に治療され、一時的な装具療法と大腿四頭筋等の筋力訓練を行う。

日赤医療センターの奥津一郎医師は、原告の傷病について、次のとおりの意見を述べている。

後十字靱帯損傷について正確な診断を下すには、関節鏡検査を必要とするが、臨床所見と原告の主訴の内容は、後十字靱帯損傷を強く疑わせるものである。もっとも、右膝後十字靱帯損傷と、右下肢脱力及び知覚障害の直接の関係は通常考えにくい。身体障害者福祉法上の障害程度等級についての診断では、右の症状の原因となった外傷名を具体的に証明できなかったため、右膝後十字靱帯損傷名のみを記した。

(七) 原告は、現在の症状等について、次のとおり説明している。

日常において、右膝に固いサポーターをはめ、その上から装具を付けて生活している。寝た状態や座った状態から満足に立つことができない。装具を付けても、三〇〇メートルほど歩行すると右足が前に出なくなってしばらく休憩しなければならない。階段の昇降は、手すりや壁につかまって行い、重い荷物を持つと右膝にひどい痛みを感じる。右膝を曲げて抱え込むことができない上、右足首や右足指を自力で動かすことができず、右膝から下は感覚がない。

以上の事実が認められ、原告本人の供述及び原告作成の経過報告書(甲九)中右認定に反する部分は、前掲採用の各証拠に照らし、採用できない。

2  裁判所の判断

(一) 本件事故と相当因果関係のある治療について

(1) 判断内容

原告は、平成九年一〇月二九日までの治療は、すべて本件事故と相当因果関係があると主張する。

1の認定事実によれば、原告の身体の状態は、事故から一年強を経過した時点までは、リハビリ治療によってそれなりの効果を上げていたが、その後、平成九年五月一五日に日赤医療センターに通院し始めて以降は、あまり変化はない。しかし、原告は、このころ、知覚障害なども訴えるようになっており、同年八月下旬に検査入院をしていることからすると、日赤医療センターが症状固定と診断した同年一〇月二九日までの治療は、本件事故と相当因果関係があるというべきである。

(2) 被告の反論に対する判断

ア 被告は、原告が久我山病院にいったん通院しなくなった平成八年四月一六日をもって症状は固定しており、同日までが本件事故と相当因果関係のある治療であると主張する。

しかし、原告の症状は、通院にブランクがあった間も残存しており、再び通院を開始した後は、リハビリによって回復傾向を示していたのであるから、平成八年四月一六日当時において、症状が固定していたとはいえない。

イ 被告は、日赤医療センターの初診時における原告の主訴の内容は、歩行状態が良好となってきた久我山病院でのリハビリの結果と連続性がなく、日赤医療センターへの通院は本件事故と相当因果関係がないとも主張する。

たしかに、日赤医療センターに対する原告の主訴の内容は、それまでの回復傾向に逆行する内容といえるが、やや範囲が拡大しているものの、同一部位に関するものであり、他の原因を窺わせる証拠もないから、

本件事故と相当因果関係がないとはいえない。

したがって、被告の主張は、いずれも採用できない。

(3) 原告の治療態度の治療期間に対する寄与の有無及び程度

被告は、原告の治療経過のうち、<1>久我山病院において、約三か月半通院しなかった期間及び<2>久我山病院での治療と日赤治療センターでの治療との間の約二か月の空白期間に原告の身体に生じた結果について、被告は責任を負わないと主張する。

この趣旨は必ずしも明確ではないものの、たしかに、右の期間は、原告が自らの意思で治療をしなかったものであり、原告は、<1>の空白期間の後に意欲的にリハビリ治療をした結果、相当程度に治療効果が上がり、<2>の空白期間の直前まで、その効果は上がっていたといえるから、この空白期間は、治療期間の長期化に影響したと推認することができる。

そして、右の治療経過に照らすと、その影響した割合は二〇パーセントとするのが相当であるから、民法七二二条を類推適用して、損害額からこの割合に相当する金額を減殺すべきである。

したがって、被告の主張は、この趣旨及び限度で理由がある。

なお、原告は、本人尋問において、久我山病院での通院治療に空白期間ができたのは、被告訴訟代理人から、電話で「靱帯を悪くしたら歩くのが一番早く治るんだ、医者にも言っておけ、そのくらい知らないのか」などと言われ、精神的に落ち込んだせいであるとして、その原因が被告側にあるかのように供述する。

しかし、仮に、そのような対応があったとしても、治療を中断するほどの理由にはならず、空白期間ができた原因が被告側にあるとはいえない。

(二) 後遺障害の有無及び程度について

(1) 後遺障害の有無について

原告の右下肢脱力と知覚障害については、後十字靱帯不全断裂の傷害を負った右膝に近接して(あるいは右膝を含めて)生じているものではあるが、神経障害を疑わせる所見はなく、後十字靱帯断裂との関係も明らかでない(身体障害者福祉法上の障害程度の診断において、後十字靱帯断裂が原因とされたのは、原因を具体的に特定できなかったことによるものであるから、この診断によっても、後十字靱帯断裂との関係が明らかにされたとはいえない。)。

特に、知覚障害(右膝から下の感覚がないことがこれにあたると理解できる。)は、原告が治療当初に訴えていなかった症状であり、後十字靱帯断裂との直接の関係は考えにくいとの奥津医師の意見や、ヒステリーであるとの所見も得られないこと(仮に、ヒステリーであれば、心因的要因があるにせよ、本件事故も契機となっているとの意味では因果関係を認める余地がある。)を併せて考えると、原因は明らかでなく、本件事故と因果関係を認めるには足りないというべきである。

他方、右下肢の脱力については、後十字靱帯断裂との直接の関係は考えにくいとの奥津医師の意見があり、右足首や右足指を自力で動かすことができないことなどは、その原因が明らかでない(ヒステリーの可能性が考えられるが、それについて有用な所見が得られていないことは既に述べたとおりである。)。しかし、原告は、右膝の関節痛や不安定感を事故後まもなくから訴えており、自動において関節可動域制限が認められることからすると、少なくとも、右膝において、痛みや不安定感が残存するとの限度で本件事故と相当因果関係があるということができる(それを超える下肢の脱力については、本件事故と相当因果関係を認めるに足りない。)。

(2) 後遺障害の程度について

原告は、残存した後遺障害により、症状固定時である五三歳時から六七歳時まで一四年間にわたり、五六パーセントの労働能力を喪失したと主張する。

原告の現在の症状は、原告が訴える内容を前提にする限り、日常生活において相当程度の不便を伴うものといえる。しかし、原告の負傷内容である後十字靱帯不全断裂は、関節内血腫を伴わない比較的軽度のものであったこと、久我山病院でのリハビリ治療により、平成九年一月ころには、歩行状態はかなり良好になり、自宅内では装具を外しているようになったこと、日赤医療センターの奥津医師が診断した身体障害者福祉法上の障害程度等級七級に相当する下肢の障害は、軽度な機能障害を対象としていること(身体障害者施行規則七条三項別表)などの事情を総合すると、原告が訴える内容は、医学的に裏付けられる程度を上回るものと評価することができ、原告の後遺障害の程度は、客観的には、自動車損害賠償保障法施行令二条別表の後遺障害等級一二級七号の「一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」に該当する程度にとどまるというべきである。そして、後十字靱帯損傷は、筋肉運動を行っていくことで、日常生活にほとんど支障がなくなることが多く、筋力強化によりある程度の改善可能性が考えられることを併せて考えると、原告は、五三歳から六七歳まで一四年間にわたり、平均して一〇パーセントの限度で労働能力を喪失したというべきである(将来にわたる若干の改善可能性であれば、症状固定の診断と必ずしも矛盾するものではない。)。

なお、原告の通院期間中に通院をしなかった空白期間が存在したことの影響の有無は、ここでも問題になるが、空白期間が存在したことから、後遺障害の程度が悪化したとまでは推認できない。

三  原告の損害額(争点4)

1  治療費等(請求額一三万九七四一円) 一一万一七九二円

原告は、装具代を含めた治療費等として、一三万九七四一円を負担した(弁論の全趣旨)。

この金額から、原告の治療態度が治療の長期化に影響した割合である二〇パーセントに相当する金額を減額すると、一一万一七九二円(一円未満切り捨て)となる。

2  交通費(請求額一四万五三〇〇円) 一一万六二四〇円

原告は、通院にタクシーを使用し、少なくとも一四万五三〇〇円を負担した(弁論の全趣旨)。

この金額から、治療費等と同じく二〇パーセントに相当する金額を減額すると、一一万六二四〇円となる。

3  休業損害(請求額三七七万七二二八円) 二三七万一九六二円

証拠(原告本人)によれば、原告は、本件事故当時、夫と子供と同居して専業主婦をしていたこと、本件事故後しばらくは、洗濯、料理、買物などは夫あるいは子供がしていたこと、平成八年八月ころから、洗濯、料理、軽い買物をすることができるようになったことが認められる。

この事実に、二1で認定した治療経過に関する事実(特に、原告の負傷内容は、腰部打撲を除けば右膝に限定されていること、平成八年八月一日から再びリハビリを開始した後は、順調な回復傾向を示し始めたこと、平成九年一月ころには、自宅内では装具をはずせるようになったこと)及び残存した後遺障害の程度を総合すれば、原告は、本件事故に遭った平成八年二月二日から、同年七月三一日までの一八一日間は、平均して八〇パーセント、同年八月一日から平成九年一月三一日までの一八四日間は五〇パーセント、同年二月一日から同年一〇月二九日までの二七一日間は、検査入院により一〇〇パーセント稼働できなかった期間も含め、平均して三〇パーセントの限度(この期間は、知覚障害などにより労働能力が制限された程度が大きくなっているが、この症状が本件事故と相当因果関係を認めるに足りないことは既に検討したとおりであるから、労働能力が制限された程度は、この点を除外して判断した。)で労働能力の制限があったものと認められる。

そして、原告の家事労働は、平成九年賃金センサス企業規模計・産業計・学歴計女子労働者の全年齢平均賃金である年間三四〇万二一〇〇円に相当すると評価できるから、これを基礎収入として、原告の休業損害を算定すると、二九六万四九五三円(一円未満切り捨て)となる。

3,402,100×(0.8×181+0.5×184+0.3×271)/365=2,964,953

この金額から、治療費等及び交通費と同じく二〇パーセントに相当する金額を減額すると、二三七万一九六二円(一円未満切り捨て)となる。

4  逸失利益(請求額一八二六万〇四六二円) 三三六万七六〇二円

既に検討したとおり、原告は、本件事故に基づく後遺障害により、一四年間にわたり平均して一〇パーセントの労働能力を喪失したといえるから、年間三四〇万二一〇〇円の家事労働の金銭評価額を基礎にして、ライプニッツ係数により年五分の割合による中間利息を控除すると(係数九・八九八六)、三三六万七六〇二円となる(一円未満切り捨て)。

3,402,100×0.1×9.8986=3,367,602

5  慰謝料(請求額一〇八三万円) 三五〇万円

原告の負傷内容、入通院の経過、後遺障害の程度、治療の長期化に原告の治療態度が二〇パーセント影響したこと等一切の事情を総合すれば、慰謝料としては三五〇万円を相当と認める。

6  過失相殺及び損害のてん補

(一) 過失相殺

1ないし5の損害総額九四六万七五九六円から、過失相殺一〇パーセントに相当する金額を減額すると、八五二万〇八三六円(一円未満切り捨て)となる。

(二) 損害のてん補

被告は、原告に対し、原告の損害賠償の支払として五〇万円を支払った(乙六~一〇、一三、証人大熊昌巳)。

なお、証人大熊昌巳は、装具代として二万四三二〇円、見舞金として四万円を支払ったと供述し、大熊昌巳の陳述書(乙一三)も同旨である。

しかし、装具代については、これを支払ったことを裏付ける証拠はないから、この点についての右供述及び陳述書の内容はただちには採用できない。また、見舞金については、仮に支払っていたとしても、損害のてん補として支払ったものとはいえない。

(三) 以上によれば、原告の損害残額は、八〇二万〇八三六円となる。

7  弁護士費用(請求額三三一万円) 八〇万円

認容額、審理の経過等一切の事情を考慮すれば、弁護士費用としては八〇万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、不法行為に基づく損害金として八八二万〇八三六円及びこれに対する平成八年二月二日(不法行為の日以降の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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